人が住んでいる家は自然が現れてくる

2011.11.10

家というものは外から見ただけで人が住んでいるかいないかが分かるということであった。これほどに恐ろしい空き家でなくても、住人が一人も居なくなった町は通るだけで恐ろしい。過疎化して廃村になった町が以前は山の中に幾つもあった。そこでは亡霊ではなく、住んでいた人達の怨念が感じられた。高度経済成長期の政治が非道かったのが原因だが、政治家達はそんな怨念など気が付いていないのだろう。もっと人に温かい政治をして欲しい。車の入らない横町の路地には両側に長屋があったりして、その一戸一戸は皆同じなのに、住んでいる人が皆違うようにそれぞれが違う顔に見える。そんな横町だと家の前の道に木箱などを置いて、朝顔とか糸瓜とかを育てて棚を造っている家が多い。庭が無いから植物を楽しもうとすればこうする他はないが、その造りようだけで住んでいる人がどんな人か分かる。棚の造りようが几帳面な人、乱雑な人、手入れが行き届いていて大きな花を咲かせている人。みんなが朝顔なのに、一人だけ糸瓜を造っている人は多分にへそ曲がりな人だろう。何も無い人は自閉症の気味がある。人が住んでいる家には、住んでいる人の何物かがごく自然に現れて来る。